ローマ・エイジのこだま2

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

前の日記にも書いたが、ローマ帝国帝政初期には四人の悪帝がいたと言われている。今日紹介する本にはそのうちの二人、第四代皇帝クラウディウスと第五代皇帝ネロが取り上げられている。

第四代クラウディウスカリギュラが暗殺された後、帝位に付いた人物。その時50歳。何らかの怪我によってかどうか、子供のころから体に麻痺があったらしく、歩くときは右足を引きずり歩調はガクガクで、左右の均衡に欠ける。体格は弱々しく、頭を動かすクセが抜けず、緊張するとどもる癖があったらしい。姿勢も良くなかった。
こうした肉体上の欠陥ゆえか、幼い頃から友人は少なく皇帝一族の女性達からも可愛がられなかった。寧ろ、下に見られていたのだろう。明らかに見た目が違う子供はいじめられやすい。だが、兄がよく面倒を見たようでそれがクラウディウスの幼少から思春期にかけての精神的な安定をもたらしたと塩野氏は書いている。
表立った政務にはほとんど付かず、歴史の研究と著述をして50歳まで過ごしたようだ。もし、カリギュラがあんな末路を遂げなければ一生歴史研究に余生を終えていただろう。

だが、皇帝の座は突然目の前にやってきた。カリギュラ暗殺の後、神君と贈名された初代皇帝アウグストゥスの血を引き、カリギュラのように若輩ではなく、また元老院によって御しやすい人物として白羽の矢が立ったクラウディウスは、自ら皇帝の座に就くことを選択する。

この人物には決定的な政治上の失策というものはあまり見受けられない。「書斎の人」だったため、実際の軍事を知らず、それがブリタニア(現イギリス)制圧の遅延をもたらしたとはいえ、第二代ティベリウスが残した的確な人材配置はそのまま残されていたこと、そして、彼自身の帝国運営への熱意を感じた少数の元老院議員(そして幸運にも彼らは有能だった)の協力によって外交、政略とそつなくこなしている。では、何故クラウディウスは悪帝の烙印を押されたのか、塩野氏が指摘する部分を抜粋してみる。

クラウディウスという男の特質は、そのようなこともしばらくすれば忘れてしまうところにある。健忘症というよりも、重きを置かれたことなどかつて無かった50歳までの人生経験が、畏敬の念をもって対されることの意味を彼に教えなかったからではないかと思う。言い換えれば、畏敬という文字が頭脳にインプットされないままで、畏敬が実際の効用に繋がること誰よりも多い皇帝になってしまったのだ。(『ローマ人の物語19』 129P)

畏敬が実際の効用に繋がる―。これは皇帝でなくとも社会に出れば実感することだ。クラウディウス元老院議員達に対し実直なまでに協力を乞い、政治にあたるよう求めている。その行為自体は立派だ。「誠実の人クラウディウス」といわれるのも合点がいく。だが、そうして元老院議員に生まれた親近感と実際に払われる敬意は全く違う。クラウディウスは「軽く見られがち」な皇帝だったのだ。それはクラウディウスの皇妃に付きながら奔放に振舞って殺されるメッサリーナを見ても思うし、後にクラウディウスを毒殺したと言われる次の皇妃アグリッピーナの行動を見ても分かる。

クラウディウスは初代皇帝アウグストゥスが構成し、第二台皇帝ティベリウスが磐石にしたシステムを現状と比較して手直しするという業績を残した。その作業自体は大変重要ではあるものの、地味で庶民の目にははっきりとした成果として見えにくい。それ以上に庶民の目に映るのは「軽く見られがちな」クラウディウスの人となりと、奥さんの尻にしかれっぱなしというゴシップ(事実ではあるけど)だ。これでは、残した業績さえも軽く見られてしまう。そして、彼の前後に帝位に就いたのがカリギュラとネロ。後世にも歴史に残る悪帝として上がる二人に挟まれてしまってはどうしようもない。

彼自身にも問題が無かったとは言えなくも無いが、この人の良いおじさんを「悪帝」と呼ぶにはちょっと気の毒だな、と思う。
あれ、だらだらと書いているうちに長くなってしまった。ので、ネロについてはまた後で書くことにしよう。