架空史 まとめ2

A氏、O氏、N嬢、T嬢による四強の出現後、それぞれ戦力がほぼ拮抗していたということもあり、しばらくこう着状態が続くかに見えました。しかし、まだ後漢の人材を多く抱えた何進や、希少価値を持つ特技『妖術』を持つ張兄弟のいる黄巾賊が滅んだわけではありません。この滅び行く二つの黄昏の王国に誰が引導を渡し、所領とするかが今後の勢力伸張のカギとなります。
まず動いたのがやはりここでもT嬢でした。黄巾賊が逃げ込んだのがT嬢の公都でもあった建業の真上ということもあり、これを素早く平定すると兵を西北、つまり帝都洛陽へと向けたのです。
あまりに早い進軍でした。楚を平定してまだ間も無く、北の黄巾賊を平定したとてその更に上にはA氏(のおそらく第二軍団、H氏かM氏が軍団長か)が屈強な突撃騎兵を従え睨みを利かせているのです。A氏への備えのために割かれる将兵も少なくはありません。その状態で更に帝都を狙うというのはよほどの算段がなければ無謀です。おそらく、この時点でA氏との同盟が成立していたか、両国の外交関係が非常に親密であったのでしょう。確かにこの時期、A氏はT嬢に呼応するように何進を滅ぼしています。この奇妙な連動が二者の結託を想起させたとしても不思議ではない、と思います。
帝都を治める「西北の虎」O氏と公を名乗り南に帝国を築いた「江南の龍」T嬢の対決はこうした状況の中、始まりました。戦況は一進一退、荊州北部で戦闘が繰り返されます。その間、N嬢とA氏は不気味な沈黙を保っていました。龍虎どちらが先に疲弊し、どちらを併呑すればいいかと、漁夫の利を狙っていたのか、かつての帝都で繰り広げられる戦いをただ傍観していたのか、それは分かりません。
帝都を巡る攻防は、消耗戦の後、劇的な形で収束を迎えます。T嬢配下の高官がO氏に寝返りT嬢の前線が一気に瓦解したのです。これによってT嬢は襄陽、新野、汝南と帝都への玄関口を奪取されますが、なんとか前線を立て直し襄陽を取り返します。この回復の早さは見事、としか言いようがありません。しかし、健闘空しく、新野と汝南は二度とT嬢の元に返ることはありませんでした。
こうして、一波乱の後、四強の国境線がほぼ固まりました。(右上の図が帝都攻防戦が落ち着いたときの図。)それぞれが睨みを利かせるようにしてこの四国は数十年間、和平状態を保ちます。もちろん小競り合いはありましたが、大戦というところまでは至らず比較的平穏な時代でした。この膠着状態が破られるのはA氏、O氏、N嬢、T嬢が既に天に帰った後、彼らの子息子女の代になってからになります。