勃興するアジア、混迷するアジア

良く聞くフレーズです。「○起するアジア」ではありません。(こういう伏字をしてしまうところに自分の潔くなさを感じる)

インド舞踊を習う為に一年の半分を南インドで過ごすという女性の方と一時間ほど、日本とインドの話で盛り上がった。彼女によるとインドにいると一日何か起きない日はないらしい。釣銭がないから明日取りに来い、と言われたり、モンゴロイドは顔が平坦なのをバカにされたりしたこともあるらしい。喧嘩の毎日だそうだ。
ハプニングの連続を半年ほど続け、日本に帰ってくるとやはりインドとの差に愕然とするそう。ハンバーガーを買えばスマイルつきでちゃんとお釣りは帰ってくる。周りはほとんど日本人(モンゴロイド)。駅に行けば改札は無人で通れ、夜道も歩けないことはない。
何も起こらないままただ食事をし排泄をし睡眠を取るという日常を送ることが可能なのだ。
宗教、民族、カースト、そして貧富の差が当たり前の日常では常に自分とどうにもならない現実との差を埋めていく作業が必要になる。日本ではそういった刺激はほとんどないだろう。日本の場合は、差が存在しないのではなく差を意識しないように今まで努めてきただけだ。群馬県大泉町のブラジル人コミュニティに代表されるように、これからは『日本人』、『日本』の枠を問うような集団、問題が起こりそうな気がする。その時日本人はどんな選択をするのだろうか。